◇◇◇ 東北支部 会員便り ◇◇◇

みちのく“絆”通信 NO5

  森 研一
仙台生まれの仙台育ちです。
団塊の世代で、中学入学の時は教室の準備がなく、一時体育館を仕切って入り、クラスが20組ありました。
“上杉山通中学校” は一クラス 55〜56人、修学旅行も2班に分かれて日をずらして行った記憶があります。
― ◇ ―
入社は昭和48年6月で、朝日新聞の営業技術社員募集広告を見て応募し、運よく入社することが出来、中途入社の為
私の日程の関係で本社研修は1週間だけでした。
7月には名古屋支店エレクトーン技術へ配属になり、やっていけるか不安もありましたが心機一転頑張ろうと決心しました。
― ◇ ―
初めての仕事はエレクトーンの納入調整で、行き先は合歓の郷のホテル、おしぼり付の近鉄特急でデラックスな仕事でした。
当時はエレクトーン全盛の時代で機種も多く修理技術の習得が大変でした。
一般ユーザーのエレクトーン修理の他、学校対象のミュージックラボラトリー・システム (ML) の設置工事及びメンテナンス、
学校や教会等に設置されているクラシックオルガンの調律とメンテナンス、エレクトーンフェスティバル (EF) やジュニアオリジナ
ルコンサート (JOC) 等の発表会 ・ コンサート等。
特に 『GX-1』 の調律・メンテナンスは大変だっただけに印象に残っています。
この時代が私の仕事上で一番輝いていたように思えます。
― ◇ ―
休日にはグループでスキーやテニス等、岐阜県・長野県方面によく行きました。
その後、本社カスタマーサービス DE (DX-7など) 研修担当、昭和63年実家のある仙台サービスセンターへ転勤、平成11年
早期退職、長男である私にとって、父母 (父親はピアノ調律師 森 正美) の介護が出来、最期を看取る事が出来たのは幸いで
ありました。 感謝・感謝。
― ◇ ―
3・11 震災では大変な体験をしましたが、今はプチ仕事の電子ピアノの修理をしながら、健康第一をモットーに、パソコンの
ラジオ体操画面を見ながら、朝のラジオ体操と広瀬川沿いのウォーキングに汗を流しています。



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2013.02.18 新規作成 HP編集 長尾