◇◇◇ 東北支部 会員便り ◇◇◇

みちのく“絆”通信 No4

  佐藤 正淳
   『 音楽との出会い ! 』
今、考えてみると ちょっと感慨深いものがある。
私たち家族が満州から引き揚げてきたのは昭和21年で、真っ直ぐに 親父 ・ お袋の町、秋田県本荘町へ・・・
親父は医者だったので 由利組合病院の診療所に勤務、鳥海山の麓、今では 由利本荘市 になったが 「矢島」 のもっと奥へ。
往診は 馬 でしていました。
そこで親父が、進駐軍払下げの蓄音機を何処からか手に入れて、ストックしてあった SP レコード 「 東海林太郎の唄 」
「 軍歌 ・ 行進曲 」 「 童謡 … 汽車ポッポ ・ 青い目の人形 等 」 を毎日聴いて覚え、窓に座って唄っていると、
村のおっかさん達がニコニコとして 「 うめなア … 」 と言って通り過ぎて行ったのを覚えています。
小学校に入ると今度は鳥海山の海側 「 象潟の奥 」 上郷村の診療所へ ・・・ 。
それこそ 「 熊 ・ 狐 ・ イタチ ・ ウサギ ・ 猿 」 が ワンサカ 居て遊ぶのには最適な所 ・・・ まさしく 「 ウサギ追いしカノ山 ・・・ 」
しかも夏になると彼の 「 東海林太郎 」 さんが、毎年美しい女性と 「三味線 ・ アコーディオンのお兄ちゃん 」「 芸者 」 サンを
連れて、診療所の病室に寝泊まりして、毎日発声練習 「 赤城の子守唄 ・・・ 」 をやっているから面白くて、
窓の外で友達や時として農家のオッチャン達も聴き入っていたものです。
最後の日は小学校の体育館でコンサートです。いろんな部落から体育館が満杯になるほど集まって拍手喝采 !
そんなこんなの事があって、今から思うとこれらの 「音」 が潜在的に耳に残って、中学では 「んめ ! 合唱部さへれ !」、
2年になると 「ピッコロ足りねがらブラバンさへれ !」 と ・・・ 強制的に入らされて これが 「運のツキ」 ・・・。
これで音楽から抜けられなくなり、音大から日本楽器に拾われて今日に至ったという 「お粗末の一席 !」 。
皆様、これからも何卒よろしく ・・・。



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2012.10.08 新規作成 HP編集 長尾