◇◇◇ 東北支部 会員便り ◇◇◇

みちのく 『絆』 通信
2012年1月号


 
   山口 修  
出身は浜松で生まれ育ちました。家の前は浜名湖で魚の種類も多く、釣りをして遊んでいました。
昭和の初期、自宅の裏の台地を削っているときにナウマン象の化石が発見されました。
10年ほど前に地元考古学者の依頼で再調査しましたが、その時はナウマン象の化石は出ず、鹿・エイ等の化石が発見され、
今でも貝の化石は露出して見えています。
仙台に転勤になったのは昭和44年5月、青葉の季節でした。
高度成長が始まった時代で、事故などによるピアノの傷の補修と塗装を担当しました。
昭和47年頃にピアノの主要部品が変わり、品質が良くなりましたが取扱いの不慣れ等により仕事の量が左右されました。
 
30年弱、塗装のみの仕事をしていましたが50歳頃に初めて営業の仕事をすることになりました。
卸販売の仕事の後、57歳で中古ピアノの再生・販売を行う担当になり、買い取りと再生技術を行いました。
 
定年後も休むことなく70歳まで現役並みに仕事をしており、現在も仕事量は少なくなりましたが続けております。
長く続けられたことに感謝しております。17年間で約2000台のピアノを再生しました。
57歳の時に定年後何かをしなければと思い、市民マラソンを目指しトレーニングを始めましたが肉離れを起こし、
リハビリにプールに行き水泳に切り替えました。
 
定年後、県内の高校の水泳部のコーチを1年半ほど勤め、宮城県水泳連盟の競技委員、仙台市の水泳協会での区民の
体力づくり・普及活動・水泳教室 等の推進と指導を行っています。
 
水泳はマスターズ大会に参加し、全国・世界ランキングが発表され、世界ランキングに入ることもできました。
又、忘れない出来事として 全国実業団水泳大会 によその会社名で参加し、代表で選手宣誓をしたことです。
現在はマスターズ大会を目指す30名の仲間の世話をしております。
 
スポーツをして得たものは 『資質なくても人の倍以上努力すれば並以上になる』 これが支えとなっております。




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2012.1.25 新規作成 HP編集 長尾